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リバティプリントと日本の意外なつながり

リバティプリントと日本の意外なつながり 世界中の女性たちから愛される、リバティプリント。
そのイメージは、英国の可憐な花柄模様というイメージが強く、意外にも日本との深いつながりがあることは、あまり知られていません。
今回は、リバティプリントと日本との、意外なつながりについてのお話です。
リバティの創業者、アーサー・ラセンビィ・リバティが、ロンドンのリージェントストリートに店を構えたのは、1874年。
31歳という若さで興した彼の店では、日本や東洋の装飾品や美術品、ファブリックなどが主な商品でした。
リバティは日本をはじめ、東洋の美術品や装飾品に造詣が深く、それらを深く愛していたためです。
また、リバティ最初の店員は、日本人の少年とだったとも言われています。
リバティの店は、程なく評判を呼び、どんどん大きくなっていきました。
その一方で、リバティはあることで悩んでいたのです。
それは、日本からの輸入品は、余りにも繊細すぎるため、時間が経つにつれて劣化していってしまうことです。
そこでリバティは、東洋風の柄をプリントした生地を生産し、自分の店で販売することはできないかと考えるようになったのです。
これがリバティプリントの誕生です。
リバティプリント誕生に、日本がかかわっていたなんて、とても意外ですね。

リバティプリントと東洋の影響

リバティプリントと東洋の影響 リバティプリントの可憐で繊細なテキスタイルには、どこか懐かしさを感じませんか?リバティプリントは、英国ロンドンで100年以上続くブランドですが、日本、そして東洋の影響を受けたデザインで作られています。
1862年にロンドンで万国博覧会が開催されました。
この万博には、日本からも使節団が赴いています。
ちょんまげ姿の日本人と、日本のオリジナリティ溢れる繊細な工芸・美術品の数々に、当時のヨーロッパでは「日本ブーム」がおきるほどでした。
当時、イギリス王室御用達「ファーマー&ロジャース商会」の店員であった、リバティ創業者のアーサー・ラセンビィ・リバティ氏も、展示されていた日本の美術品に魅了されました。
1975年、リバティ氏は、日本や東洋の装飾品や織物などを販売するお店を始めました。
のちにリバティ氏は、東洋のシルク染色技術を研究し、インドの更紗柄の影響を取り入れるなどして、リバティプリントは世界中で人気を博していきます。
ノスタルジックなリバティプリントのテキスタイルは、英国アールヌーボー様式と、時代を超え受け継がれている東洋の美しさを兼ね備えています。
日本の美術品に心惹かれたリバティ氏の思いは、今に受け継がれています。

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